50歳男性 他人が見たらなんて事のない遺品だからこそ、価値がある。

私は50歳、男性で、広告デザインを生業としています。家族は妻と娘がいます。義父が亡くなった時、葬儀が終わり、1週間が経ち、感傷的になりながらも、いつもの日常が始まり、でも、いつもいる場所に居る人がいない違和感は暫く消えませんでした。そんな中でも、亡くなった人の部屋をそのままにしておくわけには行きませんので、事務的な事と平行して、遺品整理をしなければなりません。小物は兄弟間での話し合いで、振分けていました。クーラーたテレビなどは、日常でも使う物なので、バランス良く、振分けていました。ただ、振分けられない大切な物もありました。それは、義父が使っていた軽トラックでした。この軽トラックで、私の娘が小さな頃、義父が色んな場所に連れて行ってくれました。義父の行った先の写真には、この軽トラックがよく写っていました。テレビやエアコンは、ある意味、無機質なものなので、日常に紛れると思うのですが、車はある意味、アルバムと同じぐらいの思い出の遺品です。ハンドルには、きっと故人の汗が染み付いていると思います。でも、処分しなければ、維持費が掛かってしまいます。兄弟で話し合い、売るにも、売れないので、処分と言う形で、手放す事になりました。処分先にその軽トラックを置いた時、何か義父を置き去りにしている様な感情が出てきて辛かった事を思い出します。今、考えれば、どうせ処分するなら、ハンドルだけでも、取って、思い出の品として、取っておいても良かったのかなと、少し後悔をしています。遺品の数や大小は、それぞれだと思います。ただ、本当に故人との思い出がある遺品に関しては、靴なら一足だけでもいいです。洋服なら一着だけでもいいです。処分しなければと言う前に、そういう考えを持ちながら、遺品整理をしてほしいと思っています。人から見たら、何て事のない遺品でも、一周忌や三回忌などで、集まった時、その何て事のない遺品から、故人の話が膨らんでいくと思います。