44歳、女、3年経っても残る父の物。

44歳、女性です。父、母、私、弟の4人家族、さらに弟には家族があり、同じ敷地内に2世帯ではなく別に家を建て、奥さんと長女と長男と暮らしています。
非常に賑やかな一家の大黒柱である私の父が、3年前、「心臓突然死」という病名で急逝しました。本当に突然の出来事でした。「行ってきます」と言って出かけた人が帰ってこない、突然の事に家族のみんなが動揺していました。
父を送るための儀式が一通り済んだ後、家には、当然ながら父のものが以前と変わらぬ所にありました。突然死でしたので、何をどうしてほしいとか、家族の誰も聞いていません。家族経営ではありましたし、数年前に私の弟に社長職を譲っていたので仕事の対面的な事は特に大変な事はありませんでしたが、それでも父が率先してしていた仕事もあり、弟はそれにかかりっきり、私と母とで父の遺品整理をしなければなりませんでした。
といっても、「これ、どうしようか?」というものといえば大量の文庫本や漫画本くらいでした。特にものを溜め込んだり、何か趣味に打ち込んだりしている人では無かったですし(家族が趣味、な人でした)、何より、闘病とは程遠い所にいたままの突然死でしたので、父の意思をくみ取れるようなものが何一つありませんでした。
そのうち、いつも通り「ただいま」と帰ってきそうな気がする…家族のみんながそのように思っていたので、そのままそこに遺されている父のものを「整理する」という事に違和感があり、なかなか手をつけられずにいました。一つ一つのものに父の思い出があり、また、在りし日の父の顔が浮かんで、それらのものを整理してしまう事で自分たちに何も残らないのではないか、という錯覚ともいえる気持ちが芽生えてしまったのです。
それでも、少しずつ、少しずつ、家からは父のものが無くなっています。家族の気持ちが少しずつ落ち着いてくるとともに、今を生きていかなければならないという事が肌感覚で分かってきたからだと思います。
そして、物理的に、弟の子供たちのものが増えてきて、いわば「使わないもの」となってしまった父の遺品を整理せざるを得なくなった、というのが実情でもあります。
その「物」が無くても、思い出は無くなりません。そして、思い出も、家族とはいえそれぞれ違うものや所に宿っています。気持ちが落ち着くまで無理する事はありません。思う存分、遺されたものとの時間を過ごしたら「ありがとう」を言って整理する…本当に、無理する事は無いんだな、と思いました。